自分の線路(レール)を電車(自分)は走っているのか?
あらためて思うのだけど
「自分の望む世界は創れる」
「自分で自分の人生を
クリエイト(創造)する」
これは可能だと思う
なぜ無理と言う人がいるのか
伝えても無理なのかと考えたら
おそらく
自分の望む世界を
自分で(自分の線路)に乗って
走っていないために、見れていない事が
多いのかもしれないなと
講座やコンサル受けてくれた人は
知っている人も多いけれど
例題として今話したような
「五ミリずれの
線路を走るな!!」って話
五ミリずれの線路を走る電車(自分)に
なっていると、望むものもずれるのよね
五ミリずれだから電車は走れるし
自分も周りも、わかりにくくて
そのまま五ミリずれ人生と言う線路を走る
(何度も言うけど五ミリだから!
人に合わせた五ミリずれの
答えに気づきにくい)
うまくいく人、スムーズな人は
ちゃんと自分を見て、ずれたら違和感を
ちゃんと感じて本線
正しい線路にもどす
レールがおかしかったら直すもんね
だから、欲しいものがずれない
そのために何をすればよいか
自分をどう動かせばよいか
何が必要なのか
知っている
迷ってもしんどくても
本当に欲しいもののためだと
わかっているのでやりとおす
(やりとおせる!!)
大変でも、わかっているし
先を見ているのでダメな方の
「イバラの道」を歩いていない
諦めなんてないからドンドン
進むし、トライ&エラーの数もすごい
そして、当たり前に「欲しいものを得る」
無理な人って
結局ここがずれていたりする
そりゃ。。。
そのずれた所からの欲は違うだろう
ずれた欲のために、必死になっていたら
疲弊する、おかしなことも起きるだろう
アイディアもでないし、取り組むことで
得られるかもしれない未知の可能性も
取りこぼすだろう。。。
そのうち言うのだ
「欲しいものじゃなかった」
「私には無理なことだ」
「年齢が、性別が、環境が」
そして正当化して
なんなら正当化のプロになって
麻痺していく
またせっせと五ミリずれの線路に
電車(自分)を乗せて進むのだろう
少し変わったのは、電車を塗り替えて
見た目が変わるくらいで
たった五ミリずれ
されど五ミリずれ
もとの線路を走ったら??
電車も傷まない
カーブもスムーズ
停車駅も間違えない
いつでも気がついたら戻れるのだ